大学中退公務員の独り言

映画を中心に、考えたことを気ままに書いています。

ビエンチャンのホテルマン

 今年の夏休みにラオスを旅した。僕がラオスに関して持っていた唯一の知識は、村上春樹のエッセイ『ラオスにいったい何があるというんですか』で読んだことだけだ。本の中に出てくる、ルアンパバーンの早朝の托鉢の描写に心惹かれ、ぜひ現地で観てみたいと思ったのだ。要するに勢いで航空券を買ったのだけれど、予想以上に素敵な国であった。


 首都のビエンチャンに到着日と帰国日の2日間、残りの3日半ほどをルアンパバーンに滞在した。ビエンチャンは観るものが限られており、1日あればほとんど観光できてしまう。ルアンパバーンは端から端まで歩けるほどの規模の街であるが、雑貨屋や屋台巡り、早朝の托鉢、そして時にはメコン川クルーズなど、何日滞在しても楽しめそうだ。日本人の観光客こそまだ少ないが、乾季のシーズン中は欧米人の観光客であふれている。


 ラオスの詳細については改めて記したいのだけれど、今回はビエンチャンのホテルマンである。ホテルマンというと立派な格好のそれをイメージするが、僕が泊まるのはゲストハウスに毛が生えたほどの安宿である。そのようなホテルによくいる、若くてオープンで気の良いお兄さんである。ただ、一つその彼が違うのは、やけに仕事熱心なのである。本人の性格なのか分からないが、よく気がつくし応対もスマートだ。ビエンチャンの空港に到着後、観光してからホテルに向かったこともあり、到着が夜遅くになった。彼は受付で私の顔を見るなり、「Are you 〜」と私の名前を呼んだ。もちろん、その日チェックイン予定の人がほとんど残っていなかったのであり、私の容姿や年齢で推測できたのであると思われるが、とにかく振る舞いがスマートなのだ。その後会計や翌朝の朝食の案内など、流暢な英語で連絡事項がいくつかあった。最後に、外国旅行者にとって1番大切なwifiのパスワードを教えてもらった。「wifi password is ....」で彼は間をとった。フロントに着いた時からパスワードの案内には気づいていて、彼がどのように言うのか興味があった。「wifi password is....」ボクシングの判定発表並みに間をとる。


「........................ I love you」かっこよかった。ラオスで1番心動かされた瞬間だ。


部屋に入ってシャワーを浴び、久しぶりのネット環境を満喫しようと思ったが、しょっちゅう接続が途切れて全然使い物にならなかった。

足を踏んだ人と踏まれた人の話

 先日、本屋で気になる帯の本を見つけた。おそらく哲学書の類だったと思うが、おおよそ次のようなことが記されていた。「足を踏んだ人と踏まれた人がいる。足を踏まれた方は痛いから、踏んだ人に抗議する。ただ、今の時代、周りにいる、足を踏んだ人と踏まれた人以外の大多数の人まで、踏んだ人を攻撃している。」


 以前、職場の同僚に相談を受けたことがある。どうやら夫が会社の後輩と浮気したらしい。ずっと子どもが欲しいと思っていたが、今はそのような行為をする気が起きない。浮気も今回が初めてではなかったので、別れようか本気で悩んでいるようだった。


 そこまではよくある話だ。ただ、そのころから職場の女性陣の間で彼女に関する噂が広まった。どうやら旦那と上手くいってないらしい。Aさんと再婚するらしい。等々。(以前から彼女と職場の先輩であるAさんの関係が疑われていた。ちなみにAさんも既婚者である。)


彼女自身は裏表のない、はっきりとした性格で必要以上に人と群れることがなかった。また、男女関係なく人との距離が近いこともあり、そのようなところが妬みを招いていたのかもしれない。いつしか彼女に関する根も葉もない噂まで出てきた。僕に相談してきた時には相当まいっていたように思う。


先日昼休みに彼女とランチを食べた。表情にすっかり明るさが戻っている。夫のハワイ転勤が決まったという。彼女自身がイギリスで育った帰国子女ということもあり、結婚当初から海外で生活したいと常に話していた。夫に対する怒りや悲しみもすっかり抜けたとうれしそうだった。


あまりにもあっけない立ち直り方にその時の僕は少し驚いたのだけど、意外とそんなものなのだ。生きているといろいろなことがある。ただ、少なくともそれが個人的な問題である限り、周囲の人間は無闇に立ち入るべきではない。足を踏んだ人と踏まれた人が修復不可能になるまで踏んだ人を追い込まなくても、案外あっけなく物事は解決することもあるのだ。


観客の知性を信じる。

 以前『メモリーズ・オブ・サマー』というポーランド映画を観た。記事のタイトルは、監督のアダム・グジンスキがインタビューの中で言っていた言葉だ。

 日本のほとんどのテレビ番組は、小学生でも分かるように作られている、とある人が言っていたけど、バラエティやドラマなどジャンルを問わず、そのように感じることが多い。出演者の発言が画面に文字起こしされたり、ドラマではあらゆる出来事がお節介なほど説明される。いわゆる、余白が全然ないのである。こちらの知性が軽んじられている、とも言える。
 
このようなテレビ番組が危険なのは、われわれの想像力をほとんど必要としないからだ。ある登場人物同士の関係が変化した。その原因となりうる出来事はいくつもあるはずなのに、観る人が想像する前に答えが用意されている。現実は違う。いくら仲の良い友達でも、その全てを知ることはできない。その態度の変化から推測する態度が必要だ。もしくはある種の儀礼的無関心の態度を持って、時には分からないことをそのままにしておくことも必要であろう。 最近の若い人は、なんて死んでも言いたくないけど、分からない状態にいることの耐性が低いように思う。インターネットをはじめ、あらゆることをすぐに知ることができる(知った気になれる)環境も一つの理由だろう。

 冒頭の映画に話を戻すと、ストーリーは単純だ。父親が外国に出稼ぎに行き、母親と思春期の息子が共に生活している。父親はたまに電話をかけてくる。母親は化粧をして夜遅くに出かける。息子がその様子をじっと見ている。父親は最後に少し姿が映るだけだし、母親の不倫相手は全く出てこない。 監督によると、必要最低限の描写を残し、余白を意識的に作ったという。良作でした。