大学中退公務員の独り言

映画を中心に、考えたことを気ままに書いています。

観客の知性を信じる。

 以前『メモリーズ・オブ・サマー』というポーランド映画を観た。記事のタイトルは、監督のアダム・グジンスキがインタビューの中で言っていた言葉だ。

 日本のほとんどのテレビ番組は、小学生でも分かるように作られている、とある人が言っていたけど、バラエティやドラマなどジャンルを問わず、そのように感じることが多い。出演者の発言が画面に文字起こしされたり、ドラマではあらゆる出来事がお節介なほど説明される。いわゆる、余白が全然ないのである。こちらの知性が軽んじられている、とも言える。
 
このようなテレビ番組が危険なのは、われわれの想像力をほとんど必要としないからだ。ある登場人物同士の関係が変化した。その原因となりうる出来事はいくつもあるはずなのに、観る人が想像する前に答えが用意されている。現実は違う。いくら仲の良い友達でも、その全てを知ることはできない。その態度の変化から推測する態度が必要だ。もしくはある種の儀礼的無関心の態度を持って、時には分からないことをそのままにしておくことも必要であろう。 最近の若い人は、なんて死んでも言いたくないけど、分からない状態にいることの耐性が低いように思う。インターネットをはじめ、あらゆることをすぐに知ることができる(知った気になれる)環境も一つの理由だろう。

 冒頭の映画に話を戻すと、ストーリーは単純だ。父親が外国に出稼ぎに行き、母親と思春期の息子が共に生活している。父親はたまに電話をかけてくる。母親は化粧をして夜遅くに出かける。息子がその様子をじっと見ている。父親は最後に少し姿が映るだけだし、母親の不倫相手は全く出てこない。 監督によると、必要最低限の描写を残し、余白を意識的に作ったという。良作でした。